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いわき市街地から鉱泉「成沢の湯」を目指す。
「成沢の湯」の西側を流れる成沢川に架かる成沢橋を過ぎると登山口がある。
「赤井嶽水石山 自然観察路入口」と書かれた古びて朽ちかかった看板が地面に置かれていた。
登山口から杉林の中の作業道を登り、沢の左側を100m程歩くと田んぼ(棚田)
のあぜ道。間もなく雑木林の中の快適な登山道となる。
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徐々に沢を離れ杉林の中の薄暗い中を歩くが、また徐々に沢に近づき暫くは沢を
右下に見ながら登る。やがて沢の右側に渡り今度は沢を左下に見ながら登る。
やがてアセビやもみの木に植生が変化し、笹薮の中の登山道にかわると間もなく
県道133号線(赤井停車場線)の閼伽井嶽・水石山分岐(T字路)に到着する。
[ 参考 ] 県道付近でヤマドリの雄と出合った。
こちらがカメラを向けても威風堂々としていた。長く美しい尾である。
小倉百人一首の「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(柿本人麻呂)のヤマドリだろうか。
水石山で何度か見かけているがカメラで撮影できたのは初めてなので嬉しい。
狩猟鳥獣として人気があり県や関係団体が放鳥して個体数の維持に努めているようだが、
阿武隈山系でもヤマドリの個体数が減少しつつあるのかもしれない。
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[1]に記載したコースの終点が[2]の始点となる閼伽井嶽・水石山分岐地点であ
る。ここは車でも簡単に登れる。県道133号線(赤井停車場線)を合戸(ご
うど)地区または赤井地区より登ると閼伽井嶽(赤井岳)と水石山の分岐の標
識のあるT字路に出る。ここが閼伽井嶽・水石山分岐地点である。近くには車
1〜2台程度の駐車スペースがある。T字路から南東側の閼伽井嶽山頂に延び
る登山道がある。最初は笹薮だが次第に笹薮は消えアセビとモミの木の目立つ
登山道となる。やがて笹薮がまた目立ち始めると間もなく三角点のある山頂と
なる。山頂からの視界は木々に遮られて全く無い。ここから南側へ延びる登山
道は薬師堂へ至る。
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閼伽井嶽・水石山分岐地点([2]を参照)より北東へのびる車道を登る。
所々は車道を離れて踏み跡のある登山道を歩くことも可能。
山頂の駐車場手前にある水石は常にその上部の窪みに水が溜まっており、
水石山の山名の由来ともなったといわれる。その昔は雨乞いの神事が行われたようである。
水石の下には合戸地区の住民により水石龍蔵権現の社が建てられている。
二等三角点のある広大な山頂には展望台や各種通信施設が建設されている。
また毎年4月頃になると馬も放牧される。
以前はこの山頂をトテ馬車と呼ばれる馬車が観光客を乗せて歩く姿も見られた。
現在は馬の数も一昔前よりかなり減少していることだろう。
[ 追記 2020.02.01 ] 1月22日(水)水石山公園の山頂駐車場に駐車していた自動車の車内から、いわき市小名浜に住む母子4人が遺体で発見されました。
同乗していて怪我を負っている交際男性から、心中を図った可能性も視野に入れて事情を聞いているそうです。衷心よりご冥福をお祈りいたします。
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水石山東側の林道曲ブナ線を終点まで進むと駐車スペースがある。この奥の雑
木林の中の径を登る(登山道1)。少し進むとガレ場となる(登山道2)が、
そのまま沢に沿うように登っていく。(※右に踏み跡があるが、その先は[5]で
説明する剣ヶ峰方面なので、ここでは進まないように注意。)
少し進み沢の水量が少なくなった辺りで沢を渡り(登山道3)、沢から遠ざか
るように雑木林中の径を登っていく(登山道4)。少しすると杉林の中の作業
道へと変わる(登山道5)ので地図とコンパスを確かめて道に迷わないように
注意して進むと、ふたたび雑木林となり(登山道6)、やがて山頂一帯の芝生
が目にはいってくる。
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林道曲ブナ線終点([4]を参照)より[4]と同様に登山道に入るが、程なくして右側(北)へ
進路をとる(登山道1)。最初は踏み跡は目立たないが途中踏み跡がはっきりしてくる(登山道2)。
踏み跡や赤ペンキや赤テープを参考にしながら地図で時々位置を確認しながら進むと、
林道終点より30分ほどで剣ヶ峰・水石山分岐地点へ到達する。そのまま直進(北)すれば剣ヶ峰や小玉ダム、
左折(西)すれば水石山である。
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小玉ダム西端のキャンプ場トイレ近くにある登山口から入り、急な尾根に
とりついて登り始める。尾根を見失うことなく確実に登って高度を着実に
稼いでいけば、1時間前後で三角点のある剣ヶ峰である。残念ながら雑木
林に囲まれ展望は殆んどない。
ここから南へ10分程で剣ヶ峰・水石山分岐([5]を参照)である。
[ 参考 ] 天平6年(734年)、源観という西国の高僧が剣ヶ峰に草庵を結び薬師如来立像を安置して祈りを捧げたところ、
当時流行していた疫病から人々が救われたという。その72年後、徳一大師も大同元年(806年)に訪れて、剣ヶ峰は険峻過ぎるとの判断から、
常福寺が赤井岳の山腹に建立されることとなった。(徳一が訪れたのは大同二年(807年)とする説もあり)
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剣ヶ峰・水石山分岐([4][5]を参照)から10分程北へ進むと剣ヶ峰([6]を参照)である。
剣ヶ峰は鉄鉱石の鉱床があり大正時代〜昭和20年頃までは採掘が行われていたが、
今ではその形跡がわずかに残る程度となっている。
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剣ヶ峰・水石山分岐([4][5]を参照)から西へ進む(登山道1)。最初はアセビの目立つ
雑木林であるが、やがて放牧野の柵のばら線沿いの歩きとなる(登山道2)。しばらくし
て杉林の中を通るようになり、剣ヶ峰・水石山分岐から30分ほど経った頃、芝生の広が
る山頂北側へ出る(登山道3)。ここから200m程南には航空管制用と思われる先端が
ドーム型の2本の通信タワーが建っている。
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好間町北好間下ヶ屋敷地区の市道終点より登る。終点には大山祇神社
があり、大杉に注連縄がしてある。参道としての古い歴史を感じさせる。
登山道は最初は緩やかだが、まもなく「七曲り」といわれる斜度のきつ
い九十九折の道となる。しかし、きつい急登も長くは続かず、杉や桧、
モミの見事な大木が目立つようになる。程なくして閼伽井嶽薬師の
太子堂弘法水が目に入ってくる。「ふくしまの水30選」(ふるさとの泉)に選ばれている名水。
さらにその先の階段を登り本堂へたどり着く。
[ 参考 ] 閼伽井嶽の閼伽とは「仏前に供える水」であり、閼伽井は仏前に供える水を汲む井戸のこと。
ここの太子堂弘法水が閼伽井嶽という山名の縁起だろうか。
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県道133号線(赤井停車場線)の赤井地区にある旧参道入口
より登り始める。その少し手前の延命地蔵と待人堂展望台のある
所に案内板(赤井嶽旧参道森林浴遊歩道略図)があるのでここで
ルートを確認されるといい。旧参道入口に入ると直ぐに左に道が
あるがこれは滝不動経由の道。旧参道は直進する。
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旧参道入口を左に進むと滝不動経由の道となる。滝不動までは少々下る。
まずは地蔵様が迎えてくれる。その先には水量は多くないが結構な落差
の荒澤滝があり、その左側に滝不動が建っている。滝不動の左側から登山道
を登り始める。樹齢500年といわれる杉や桧が迎えてくれる。40分
程登ると竹林となり、竹林をぬけると赤井嶽薬師の駐車場へ出る。
[ 参考 ] 荒澤滝では行者による水行が行われる。太平洋戦争中は出征兵士の武運長久を祈って
一般の方々も水行を行ったという。戦争で亡くなられた多くの方々の御霊の安らかなることを祈って拝礼する。
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旧参道入口を直進し旧参道を進む。すぐに首なし地蔵が迎えてくれる。
暫くすると左手に清水が現れるが、水量が少ないのであまりあてに
しない方が無難。杉と桧の大木の中をさらに登ると右手に亀の子石
その少し先に行くと三十三観音の石碑群を拝顔できる。さらに登ると
竹林となり、竹林をぬけると赤井嶽薬師の駐車場へ出る。旧参道入口
より30分前後である。
[ 参考 ] 昭和8年に出火し、折からの強風にあおられて奥の院を除く大部分の建物が灰燼となった。
建物の配置のほかに、山腹にある為に消火用水が不足したことも大火になった要因だという。現在の本堂は閼伽井嶽の檜を使って昭和17年に復興したもの。
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閼伽井嶽薬師本堂左側の鐘楼堂近くの儒仏の奥が登山口である。ここ
から左下の真新しい多宝塔を見ながら踏み跡を進んでいく。
アオキやアセビ、モミの木が目立つ九十九折の登山道は途中、木々が倒れ
少々荒れているところもあるが一部である。30分前後で三角点のある
閼伽井嶽山頂となる。山頂から西へ延びる踏み跡は、県道133号線
(赤井停車場線)の剣ヶ峰・水石山分岐地点へ至る。
[ 参考 ] 閼伽井嶽の山頂には石組の遺構が見られ、源観上人(現観上人)が経塚を埋めたという伝承も残る。
興味のある方は訪れてみてはいかがだろうか。
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水石山・閼伽井嶽は牧草地、露岩帯、雑木林、杉林・桧林、沢など変化に
富んだ環境から多様な植生がみられる。5月は次のような草花が目立った。
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