土津神社と磐椅神社
磐梯山の南麓に眠る会津藩初代藩主・保科正之の御霊を訪ねて
名君として名高い会津藩初代藩主の保科正之(1611年 - 1672年)は「余の没後は神道の礼をもって磐椅神社の神地に葬ってもらいたい」との遺言を残し、
二代藩主の保科正経が磐椅神社(いわはしじんじゃ)の近くに土津神社(はにつじんじゃ)を創建し正之公の霊を祀った。
正之公の生誕からちょうど400年となる今年(2011年)は東日本大震災が発生し福島県は地震や津波、原発事故による甚大な被害に苦しめられている。
正之公が生きていたらどのような陣頭指揮を行うだろうかと思いをめぐらせる県民も多いのではないだろうか。
磐梯山の表登山口(猪苗代スキー場)の手前に土津神社が鎮座している。創建は1675年(延宝3年)。「土津」は正之公の神道での霊号。
日光東照宮と比べられるほどの豪華さだったといわれるが創建時の建物は戊辰戦争で焼失し、現在の建物はその後再建されたもの。
神社創建とともに整備された灌漑用水路の土田堰(はにたぜき)が神社の前を流れる。330年ほどの歳月が経った現在でも現役である。
太鼓橋を渡り鳥居をくぐって境内へ入る。
>> 土津神社の場所はこちら(マピオン地図)
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土津神社入口 |
案内図 |
土田堰に架かる太鼓橋 |
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社務所 |
土津神社霊神之碑 |
亀石(台石) |
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拝殿 |
本殿 |
境内社 |
正之公のお墓は奥ノ院となっている。拝殿に向かって右手に奥ノ院参道の入口がある。苔むした丸石の敷きつめられた参道は雨の日は滑りやすい。
500mほど登ると奥ノ院に着く。途中、町道を横切る。残念ながら奥ノ院の門は閉められて中には入れない。門に飾られた葵の御紋が正之公と重なる。
柵越しに、盛り土され鎮石の置かれた円墳に向かって合掌する。
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奥ノ院参道入り口 |
奥ノ院への参道 |
奥ノ院 |
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案内板 |
会津中将源君之碑 |
八角形の鎮石(墳墓) |
土津神社の東側駐車場下付近の車道脇に磐椅神社の案内板が立っている。
土田堰沿いの砂利道を入っていく。途中、「田中正玄の墓入口」の柱標が立っている。
田中正玄は正之公の重臣で家老を務め、正之公が会津を離れている間執政を預かった。
100mほど入ると手入れの行き届いた墓地に着く。
土田堰沿いの砂利道に戻り100mほど進むと神社が見えてくる。入口付近には会津五桜として名高い大鹿桜。開花が遅く見ごろは5月上旬から中旬頃とのこと。
この神社の草創は磐梯山山頂に御祭神が祀られた和同年間(1300年ほど前)にさかのぼる。鳥居杉と呼ばれる樹齢800年の大木もこの神社の長い歴史の一部にすぎない。「磐椅神社彩色三十六歌仙」は猪苗代町の重要文化財にも指定されている。
神社の建物は痛みが目立つ。歴史ある延喜式神社だけになんとももったいない。正之公が生きていたらこのままにはしておかないだろう。
>> 磐椅神社の場所はこちら(マピオン地図)
>> 磐椅神社のホームページはこちら
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案内板 |
土田堰(はにたぜき) |
田中正玄の墓入口 |
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田中正玄の墓 |
案内板 |
大鹿桜 |
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鳥居杉と縁結び桜 |
磐椅神社拝殿 |
境内社(稲荷大明神) |
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