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田村市船引町の美山地区にある美山小学校の少し北に福島交通のバス停「館入口」があり、
その近くに案内板があるのでその案内に従って舗装された林道を登っていく。
2km程進むと西側登山口のある「瑞峰平」に着く。ここからの西側の眺めもなかなか良い。
今回は瑞峰平(駐車場)近くの西側登山口から登るが、瑞峰平からさらに舗装された林道を東へ200m程行くと水場があり、
さらに300m程行くと東側登山口もある。
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西側登山口から道幅が広く緩やかな赤松の中の登山道を5分程登ると右手に鳥居が目に入る。
鳥居の奥には移ヶ岳神社が建っており、鳥居脇の「移ヶ岳神社由緒」と題する石碑には以下の文が彫られている。
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祭神 大山祇大神 天熊大人神 二柱
旧称 移ヶ岳観音 明治三年移ヶ岳神社と改称
起源は遠く坂上田村麿将軍東征に遡り将軍当地方に駐軍せら
れしときこの山に登り四方を偵察し大山祇大神その他の軍神を祭
き祀り戦勝を祈願し軈て大勝を博し賊徒を平定せられた神徳を
称え里人等祠を建て尊崇した後ち将軍の後聞 田村友顕公 康平
年間三春城主となり祖先の遺跡を偲び代々深く信仰せられた霊城
なりと伝いらる降って正保年間秋田公三春城主として入城以来崇敬信
仰厚く毎年一月十五日二夜三日間祭祀を奉仕するを例にされたと云ふ
明治維新神仏分離のとき同三年神官権訓導菅村嗣江氏中心となり
頂上の直下後ろに屹立する巌壁を負ひ脚下断崖の下に清冽なる
清水滾々として湧き南面して四方開け眺望絶佳はるかに太平洋を望
む勝景の地をトし社殿を造営し改めて奉祀し山の鎮守農業の
守護神 特に産馬擁護の神としてしられ近接諸町はもとより遠く双相地
方より参詣者相次ぎ崇敬信仰せられその後大正六年社殿を改築し
現在に至った
近年わが國経済の進展成長に伴ひこの山の特産黒花崗岩の需要増加しこれ
が採掘盛んに行はれ社殿附近をも採掘するようになり爆發による振動落
石等により本社に悪影響を及ぼすのではないかと懸念せられるようにな
った郡山市中田町大字柳橋の石材業者長沼武茂氏これを憂慮し本殿
の奉遷拝殿の新築等一切を寄進することゝし遷座方を昭和四十
四年一月氏子に懇請するに至った よって氏子は協議検討の結果これ
を了承し位置の選定社殿の設計等につき両者協議の上工事を
施工し同年七月三十日竣工
この地に遷宮奉祀したものである
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昭和四十四年七月三十日建碑
菅村巌美 撰文
橋本朋文 謹書
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移ヶ岳神社を後にし登山道に戻り20分程登ると分岐がある。左が直接山頂へ行くコース、右が採石場
跡を経由するコースとなる。採石場跡は帰りに立ち寄ることとし、先ずは左のコースを選び山頂
を目指す。登山道は徐々に斜度を増し、山頂直下ではトラロープ頼りの急登となるがそれほど長
くは続かず、先程の分岐から15分程で山頂となる。山頂は狭い岩場で360度の眺望を堪能でき
る。危険箇所にはロープが張られているので立ち入らないこと。
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帰りは山頂直下の分岐より東〜南東側の尾根を通って東側登山口へ降りるコースを選ぶ。
5分程で分岐がある。左は南移登山口へ降りるがここでは右を選択する。まもなく
右手に採石場跡を眼下に望むことができる。ロープが張られているが足元に注意が必要。
尾根を5分程降ると分岐があり右手に進むと黒花崗岩の採石場跡となるので立ち寄ってみる。
そのまま進むと西側登山口へ戻ることも出来るが、道が少々不明瞭な所があるので踏み跡に注意すること。
ここでは尾根の道まで引き返し、東側登山口を目指すことにする。
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尾根の道に戻って3分程降ると「賽の河原」と呼ばれる小広い広場に出る。
案内板に従ってさらに20分程で東側登山口に到着する。ここから舗装された
林道を500m程歩くと瑞峰平(駐車場)。途中右手に水場がある。
東側登山口には釣り掘り場があるので、時間があれば楽しむのもいい。
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登山道脇には季節毎に様々な植物が花を咲かせる。クルマバソウはクルマムグラと
似ているが葉が8葉に輪生していることで見分けられる。フデリンドウは注意しないと
見過ごす程度しか見かけない。
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