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登山口は「差塩良々堂三十三観音参道入口」の白い看板が目印。
「独国禅師頌徳」と書かれた昭和55年に寄進された古い木の案内板と、
平成5年に寄進された「差塩良々堂三十三観音 参道案内」という比較的新しい石碑もある。
近年、登山口近くに乗用車10台くらい収容可能な駐車場が整備された。
登山口から薄暗い杉林の中の坂道を登り始めると直ぐに右手にお堂への細い道がある。
お堂への道を10m程進むと右手に「桃太郎石」という桃が二つにぱっくり割れたような大石がある。
少し急な坂道を3分くらい登るとお堂に着く。
[ 参考 ] 登山口の石板には次のような記述がある。
その昔僧丹心の開基、良々堂山願王堂を建立した。その後寛政年間に宮城の
僧独国によって開山された。文政のはじめに三十三観音建立を発心、弟子の
無涯和尚をして西国三十三観音を巡礼させ西国のご本尊と同じ形の石仏と十
六羅漢を移し西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めた。近郷近在
の信仰心の助力によって同十三年寅の中秋(およそ190年前)に完成、良
々堂三十三観音と称す。而してこの地方の人々が遠い西国まで行かなくても
この地で西国三十三観音の巡礼ができ、いやが上にもその功徳を居民に示し
平常心を養うこと今に至っております。この良々堂山三十三観音の一周およ
そ三キロで、所要時間は二時間足らず。弘法大師と共に同行二人、西国三十
三観音を忍ぶ巡礼が疲れを知らずに楽しむことが出来ます。
平成五年七月 山主 松ア
※個人所有の土地なのでマナーには細心の注意を払って登りたい。宮城県女
川町の三十三観音は文政7年(1824年)の完成なので、差塩三十三観音
はその6年後(1830年)ということになる。
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お堂脇の大岩の上には十六羅漢像が安置されている。
お堂の中には参拝記念の朱印があり自由に押印できる。
1番札所へはお堂のすぐ上の石像の所から西へ延びる道を行く。
参道は概ね周遊コースとなっており三十三観音巡りが成就した段階でお堂に戻ってくる。
古い指道標があるが少々判り辛い箇所もあるので、踏み跡を慎重に見極めること。
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観音像は見事な大岩の近くに祭られている。
指道標はあるが十分ではない。道順に迷いそうになった場合は踏み跡と大岩を探そう。
3番札所が終わると山頂へ直登する尾根上の道となる。4番札所へは尾根道を少し登った所で指道標に従い左の谷側へ入る。
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5番札所、6番札所、7番札所は間隔が狭い。指道標もまとめて一つである。6番札所はモミの巨木が目印。
12番札所と13番札所は数メートル脇道へ入った所にある。
巡り方にもよるが14〜16番札所は逆順となり14番札所の先は26番札所となる。
17番札所〜25番札所の方を先に巡った方がいいかもしれない。
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二十七番札所の直ぐ近くの少々小高い所が山頂である。
三等三角点の標石は埋もれ気味にあった。山頂は雑木林に囲まれ展望はあまりない。かつては多少の展望が得られたと思ったが木々が成長したか。
二十七番の観音像は比較的新しいので背側を確認したら平成7年に再建したことが記されていた。
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28番札所へは山頂の27番札所の所から北側へ延びる道を下りて行く。
道は山頂の北側から東側を巻くようにあり、33番札所を巡った後、
しばらく山道を下るとお堂に戻ってくる。
お堂に戻る直前、独国和尚の像が迎えてくれる。満願成就!
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