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南麓の石母田地区に座する国見神社の近くには「義経の腰掛松」と呼ばれる赤松の老木があ
る。源義経が奥州平泉へ行くときに腰を掛けたという伝説が残されている。その当時の木は
枯れ(焼失したとも云われる)、現在は、樹齢が200年の二代目の松とのことである。
[ 参考 ] 隣町の桑折町の半田沼にも源義経にまつわる伝説が残っており、
この地方の義経との関わりの深さをうかがわせる。
また、厚樫山の東麓を鎌倉や京都と陸奥や出羽との交流に重要な役割を果たした東山道(奥州道中)が通っており、
長坂という急坂を登りきったところが国見峠と呼ばれる。( 国見町教育委員会による解説板の写真 )
[ 追記 2020.07.01 ] このページを作成した2005年、国土地理院の地図では山名の漢字表記が「厚樫山」でしたが、近年「阿津賀志山」に変更されております。
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南北に延びる東北本線・東北自動車道・国道4号線がこの厚樫山に突き当たり、
迂回しているのが、地図を見ると一目瞭然である。
林道「阿津賀志」線の起点が「ふくしまの遊歩道50選」に選定された「あつかし山ハイキングコース」の
起点となっているが、その林道も初めは東北自動車道と並行に通っている。
林道途中には防塁の始点の案内板がある。
林道「阿津賀志」線支線の終点の山頂直下には普通車なら15台程度は駐車可能な駐車場とトイレがある。
[ 参考 ] 山腹から延びる防塁の跡はここから阿武隈川手前の支流滝川に突き当たるまでの総延長3.2Kmにおよび、
藤原氏が1189年(文治5年)8月の源氏との戦い(奥州合戦)の前に築かせたもので、往事を偲ばせるものとなっている。
また、林道途中から山頂までの随所に画像碑が観られる。1853年に沸源とよばれる者(本名:源右衛門)が
大師堂を建立する資金を集めた際に報恩として石に線画を刻んだものとされる。( 国見町教育委員会による解説板の写真 )
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露岩が目立つ山頂には、大字光明寺の松浦金一氏の寄付により1974年(昭和49年)に建てられた
鉄骨製の三階建ての「厚樫山展望台」があり、信達平野(福島盆地)を一望にできる。
かつて国見山と呼ばれていたことも十分頷ける。
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展望台からの眺望は見事で、東側には阿武隈川や阿武隈山地、南西側には吾妻・安達太良連峰、西側には半田山を見渡すことができる。
八百余年前には天下分け目の激戦が繰り広げられた合戦場も、今は桃の花が咲く桃源郷である。
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