●2020年6月28日時点。
阿津賀志山は厚樫山ではないと思います。
吾妻鑑の阿津賀志山の戦いは虚構だと思いますが、阿津賀志山と国見の宿の中間に堀を掘ったとあります。
厚樫山と呼称される山腹から堀は阿武隈川に向かってほられています。吾妻鑑の文意と合致しませんね。
阿津賀志山は国見町光明寺東越山だと思います。
東越山(あつこしやま)を万葉仮名風に阿津賀志山と書いたものと思われます。
東越山と国見の宿の中間に防塁跡が位置します。
防塁は藤原泰衡が築いたものでは有りません。吾妻鑑の曲筆です。
伊治公呰麻呂の乱の年780年に征討使が作りはじめたものです。
東越山山頂付近の要害遺跡は夷大墓公阿弖流為等逆賊が築いた要害遺跡で藤原泰衡の要害遺跡ではありません。
東越山付近の地形図に大道という地名が残っています。古代官道の跡だと思います。
(情報提供:福島市・山田氏)