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本郷地区の瀬戸町通りに建つ会津美里インフォメーションセンター近くに白鳳山公園への入口がある。
ここから舗装された坂道を上っていくとすぐに、旧・会津本郷焼資料館。
敷地の外れには案内図や遊歩道50選の看板が立っている。ここからゲート(冬期閉鎖)を通過した所が林道「岩崎」線の起点。
左手には観音山山頂(馬頭観音跡広場)へ至る「かんのん坂」遊歩道の入口がある。
旧・会津本郷焼資料館にも駐車可能かもしれないが、今回は遊歩道を左に見送りフィールドアスレチック広場近くの駐車場まで車で上ることとする。
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ゲートから500m余り進むと右側に駐車場、左側には観音山(馬頭観音跡広場)の入口。
白鳳山公園の案内図と水場がある。駐車場の真下はフィールドアスレチック広場として整備されている。
観音山馬頭観音跡入口から砂利道を登っていく。トイレと簡易水道施設を通過して直ぐに観音山山頂に至る。
[ 参考 ] フィールドアスレチック広場は24のポイントがある本格的なもの。無料で自由に利用できる。
駐車場の場所がゴールで、スタート(入口)は少し車道を少し下った所。
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観音山山頂は芝生の広場となっている。馬頭観音や観音堂の解説板があり、その奥に建っている四阿からは会津若松市街地の眺望がいい。
石碑群を右に見ながら「かんのん坂」を西へ少し下ると大山祗神社。途中、西側の眺望がいい所があり、丸山の奥に博士山を遠望できた。
9月下旬、ナツハゼの実が熟しつつあった。これから登る羽黒山を眺めながら、アスレチック広場近くの駐車場に戻る。
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次は羽黒山山頂を目指す。羽黒山山頂のみの場合は羽黒山神社参道入口の駐車スペース利用が早いが、
源平沼近くの広い駐車場に車を移動し、源平沼や太子堂を経由してから羽黒山を目指すこととする。
駐車場の奥に源平沼への遊歩道入口がある。少し下っていくと直ぐに源平沼。
ここで遊歩道は三方に分かれ、右が三の丸跡、左が二の丸跡広場、直進は大手口・太子堂方面となる。
指道標は左右のみ記されているので注意。ここを直進して間もなく道は左右に分かれるが、分かりにくいので注意したい。
左が岩崎山方面への上り、右が大手口・太子堂方面への下りである。ここを右に折れてからは緩やかに下っていく。
利用者が少ないらしく少々荒れているが、源平沼から15分ほどで太子堂に着く。
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聖徳太子立像を拝観したら、太子堂右脇から裏手に延びる遊歩道を上っていき、羽黒山神社入口を目指す。
藪ぎみの箇所があるが道を見失うことはない。9月下旬、クモの巣が多く辟易した。このコースも利用者が少ないのだろう。
太子堂から10分ほどで管理棟下側のトイレが見えてくる。トイレと車道を挟んで向かい側が羽黒山神社入口。
一の鳥居をくぐり長い石段を上っていく。
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境内(羽黒山曲輪)に着くと左手には出世稲荷神社。正面には羽黒山神社の拝殿、奥には本殿が鎮座している。
拝殿と本殿の脇を登っていと、2〜3分で羽黒山山頂。天照皇大神の石碑と四等三角点がある。北東〜東側の眺めがとてもいい。
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源平沼の駐車場に戻る途中、三の丸跡に立ち寄る。
管理棟脇の遊歩道入口から入ると直ぐに三の丸跡。芝生の広い斜面となっている。
解説によれば、主に馬の訓練場に利用されたらしい。
管理棟から車道を歩いて源平沼の駐車場に戻ったら、今度は二の丸跡広場近くの駐車場に車を移動させる。
ここから古城の道を上っていけばすぐに岩崎山(向羽黒山)の山頂だが、二の丸跡広場からお茶屋場跡、弁天曲輪(宗像神社、御水神社)を周遊して山頂を目指すコースとする。
駐車場脇には二の丸跡広場への入口がある。本丸と二の丸の間の車道となっている所は、堀切となっており、門もあったという。
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御茶屋場や水手曲輪が近くにあり向羽黒山城の生活拠点とされる二の丸跡広場は、白鳳山公園で最大の広場。
ふくしま緑の百景「白鳳山公園」の標石や新観光福島三十景「白鳳山公園と向羽黒城趾」の標柱が置かれている。
会津盆地の眺望が見事。先ほど登ってきた羽黒山の奥に飯豊連峰を望む。
会津若松市中心部(鶴ヶ城)の奥に磐梯山の眺めもいい。
鶴ヶ城の東側(磐梯山の手前付近)には戊辰戦争で新政府軍の砲撃拠点となった小田山や、白虎隊自刃の地である飯盛山を遠望できる。
[ 参考 ] ■毎年5月の最終日曜日には向羽黒山城を築城した葦名盛氏を偲んで二の丸跡広場を中心に「ふれあい茶会」が開かれる。
向羽黒山城が国指定史跡となった平成13(2001)年の翌年に第一回が開催されている。
会津本郷焼の茶碗を初めとして、会津各地の伝統工芸品を使用している。
■白鳳三山の北東側の大川沿いに「せせらぎ公園オートキャンプ場」、南東側には「本郷温泉 湯陶里」があるので活用したい。
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広場の北側に指道標が立っている。左は源平沼、右はお茶屋場跡へ至る。
右へ進み「みかえり坂」と呼ばれる遊歩道を下っていく。苔むした石積みは往時のものだろうか。
3分ほどで車道に出る。車道を横断するとお茶屋場跡(お茶屋場曲輪)。
会津盆地の眺めがよく、眼下には美田が広がり大川(阿賀川)が悠々と流れ、奥には天にかかる磐梯山を望む。雄大な借景を利用した日本庭園のような眺めを堪能できる。
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お茶屋場跡からは弁天曲輪を目指す。左にトイレを見送り車道を上っていくと3分ほどで弁天曲輪。
ヘアピンカーブの所に鳥居と解説板がある。
鳥居をくぐるとすぐに御水神社。近くには「弁天神社参道入口」という標柱と「宗像神社参道入口」と書かれた標柱が立っている。
ここから参道を下って上り返すと岩場の上に宗像神社が建っている。眼下には大川が流れ、眺望絶佳。
北東には磐梯山、南には大戸岳、南西には向羽黒山(岩崎山)の急峻な南斜面。向羽黒山城が要害な場所に築かれたことがよく分かる。
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次は向羽黒山(岩崎山)の山頂を目指す。
ヘアピンカーブの所まで戻り、古城の道を上っていく。苔むした石段が続く。
石段が終わり露岩部(一の丸東曲輪)を通過すると鞍部で右から二の丸跡広場近くの駐車場からの道を合わせる。
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鞍部から一投足で二等三角点のある山頂に着く。大岩が印象的。向羽黒山城の遺構が残り、発掘作業が行われている。
厳しい戦いを想定して改修を重ねられた戦国時代の名城である。数年後には向羽黒山城の姿が詳しく解明されるかもしれない。
帰りは鞍部まで戻り、古城の道を石段を下って二の丸跡広場近くの駐車場へ下る。
[ 参考 ] ■向羽黒山城は葦名盛氏が8年の歳月を費やして1568年に完成させた東北でも屈指の規模の山城。
その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と主を変えるごとに改修され、会津若松城の南側の詰め城として1601年に廃城となるまで重要な役割を果たした。
現在も曲輪や礎石、土塁、石積み、堀切、竪堀、横堀、虎口など多くの遺構が残る。群雄割拠する戦国時代の名城。
■白鳳三山と陶土山の周辺には赤松が目立つ。会津本郷焼の焼窯の燃料として使用するために赤松を植林したもの。
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