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旧飯村栗園脇よりバイパス道から農道へ入る。妙見山と書かれた黄色い看板が目印。
舗装された農道を入っていくと石柱に注連縄。
さらに進むと右手に登山口となる鳥居があり、車1台程の駐車スペースがある。
ここから先は杉や桧の多い林の中の林道を登っていく。
すぐに雑木林の明るい登山道に変わり、20分程歩くと左手に木の鳥居が見えてくる。
ここの前にも車1台程の駐車スペースがあるが、混んでいる時はさらに5分ほど登った所の林道出合いの広場に数台駐車できる。
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三方から林道が出合う広場には石碑が散在している。そのひとつには「盥盤(かんばん、たらいばん)」の文字。
昔はここに手水舎があったことが偲ばれる。ここで参拝者は手を洗い山頂の神社へ登ったのだろうか、
それともこの場所にも何か神社の建物があったのだろうか。
この石碑の裏には「文政九年丙戌九月 願主 冨岡邑 佐藤七兵衛」の文字が見える。
文政九年は西暦1826年丙戌(ひのえいぬ)の年で、冨岡邑は郡山市三穂田町富岡。
また、別の石碑には「再興」の文字。寛永13年(1636年)に本殿や拝殿、宝物などを焼失する火災があったと伝えられるが、
その後に神社を再建した時のものだろうか。
ここから斜度がややきつくなるが、軽四駆であればまだまだ先へ登れそうなつづら折りの登山道を登ってゆく。
登山道は幅も広くよく整備され歩きやすく家族連れのハイキングにも適している。
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5月上旬、登山道沿いには沢山の草花が見頃をむかえていた。
ショウジョウバカマは少し見頃の時期を過ぎていたが運良く花に出会えた。
カンアオイは根元の赤茶色の花を見過ごし易い。
5月下旬頃であれば、ツツジも奇麗ではないだろうか。
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山頂が近くなってくると緑地環境保全地域となる。
見事なブナの大木などを見ながら少し登ると、右手に注連縄の張られた古い石祠が見えてくる。
五穀豊穣を願う参拝者で賑わった往時の参道を偲ばせる。
幾重にも掛けられた赤い布を見ると現在も毎年4月24日に御田神社の例祭が行われているようだ。
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飯豊和気神社が近くなってくると杉と桧の林となる。
鎮守の森のような荘厳な雰囲気の中、古い石段を登ると平安時代の延喜式神名帳にも記載されているという由緒ある飯豊和気神社がある。
傍らには「新築記念碑」があり、昭和56年(1981年)に新築されたことが記されている。
[ 参考 ] 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)とは、
平安時代の延長5年(927年)に朝廷から官社として認識されていた神社を記載したもの。
記載された神社は「延喜式内社」、「式内社」あるいは単に「式社」といわれる。
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三角点のある山頂は神社の裏手の一段高くなった所である。雑木林の中のため展望は期待できない。
ここは郡山市と旧:岩瀬村(須賀川市に併合)との境界が通っており、その境界杭と思われる杭がある。
5月上旬、山頂ではコキンバイが見頃を迎え、マイヅルソウ、フキノトウも花を咲かせていた。
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