茶臼山(古城山、懸田城跡)
室町時代に激戦が繰り広げられた山城跡を訪ねて
懸田氏の出自について、公園入口の解説板には「建武二年(1335年)源義家の後裔である高松近江守定隆が、北畠顕家の命で高松城から懸田城へ移り、懸田氏を称した」と記されている。
懸田城は霊山城や宇津峰城、藤田城、川俣城などと共に南朝側の拠点の一つになった。
十五世紀には懸田氏は南奥州において確固たる存在感を示していたが、
天文十一年(1542年)に伊達稙宗と晴宗の父子の内紛「天文の乱(1542-1548年)」が勃発し、懸田俊宗は岳父である稙宗側について戦ったが敗れ、その講和条件として懸田城は破却されたという。
その十一年後の天文二十二年(1553年)に再度晴宗に対して挙兵するが敗北し懸田氏は滅亡した。
伊達市霊山町の掛田地区のシンボル的存在が茶臼山(古城山)である。
懸田城という山城があった要衝だが、現在は茶臼山公園として整備されている。南麓に建つ霊山総合福祉センター「茶臼の里」の近くに駐車場と公園入口がある。
公園入口には公園の案内図と懸田城の解説板があるので参考にしたい。
>> 茶臼山公園の場所はこちら(マピオン地図)
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茶臼山(標高225.1m) |
茶臼の里 |
駐車場 |
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茶臼山公園入口 |
遊歩道 |
案内図 |
左手に掛田地区の街並みを見ながら遊歩道を上っていくと第一広場。
高橋新二の詩碑やふくしま緑の百景「茶臼山公園」の記念碑が置かれている。テーブルやブランコもあるので子供連れで楽しめる。
赤松林の中、石段を上っていくと奥に懸田御前観音堂が建っている。観音堂の少し上が第三広場。ここには佐藤嘲花の歌碑が建っている。
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掛田の街並み |
第一広場 |
ふくしま緑の百景の標石 |
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石段を上る |
懸田御前観音堂 |
第三広場 |
第三広場から本丸跡へ向かう。途中右手(南側)の眺望がとてもよい。5月下旬、道沿いに咲くホタルカズラの青い花が綺麗だった。
本丸があったという山頂は結構広い。奥に金華山神社とトイレが見える。神社の手前には三等三角点の標石。
桜の木も多いので春は観桜会で混雑するのではないだろうか。
トイレ裏側からは北側に徳ヶ森を望む。
徳ヶ森には狼煙台があったという。ここからもよく見えたことだろう。
懸田氏の栄枯盛衰や伝承されている懸田御前の悲話などに思いを巡らすのもよいだろう。
帰りは金比羅神社に立ち寄って公園入口へ戻った。
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本丸へ向かう |
掛田の街並み |
ホタルカズラ |
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本丸広場 |
金華山神社とトイレ |
三等三角点 |
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案内図 |
徳ヶ森を望む |
金比羅神社 |
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