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国道349号線下田地区にある「道草の駅あぶくま館」には販売所や休憩所・トイレがあるので
事前に活用したい。この付近より東へ1km弱入ると東和町の重要文化財の
「宮田のイチョウ」がある。ここを1km弱過ぎると南戸沢小学校がある。
ここからさらに1Km程度の所に羽山神社の立派な鳥居があり、ここが南口登山道入口となる。
ここから米石羽山林道を1Km余り行くと分岐があるので、米石羽山林道を離れ左手の細い林道を登っていく。
四駆だと山頂まで車で行けるが、二駆の乗用車だと路面状況によっては少々きつい時があるので、
手前の駐車スペースかさらに手前の比較的大きな駐車場に駐車して歩くことをお勧めする。
10分程歩くと南口となる鳥居が現れるのでくぐって踏み跡のある登山道を登っていく。
なお、鳥居の右側は駐車場と休憩場、左側の道は北口へ通じている。
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採石場跡の岩場を通って百段坂と呼ばれる急登を上りきると
パラグライダーのテイクオフエリアのある小広い山頂へ到着する。
奥には羽山神社の鳥居が見える。
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羽山神社の鳥居の先には御神体であろうか、大きく立派な露岩があり、信仰の山として栄えた往時を偲ばせる。
露岩部分の一番高い所には一等三角点が置かれている。
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標高はさほど高くない山であるが円錐形をした独立峰だけに山頂からの眺望は実に見事。
日山や移ヶ岳、片曽根山、口太山を初めとする阿武隈の山々や吾妻・安達太良連峰を見渡せる。
方位盤もあるので山座同定も比較的楽にできる。
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麓山(羽山)山頂では昔から富士山が見えており、羽山参りの目的の一つにもなっていたようだが、
地元新聞紙上に富士山の見える北限の山として確認された記事が掲載されたのは比較的最近のことで2001年1月。
「カシミール3D」によるシミュレーションによると、富士山の方角は215度前後(移ヶ岳山頂の右30度前後、関山近く)と思われる。
空気の安定した透明度の高い日に一度登って富士山を見たいものである。
写真撮影するには35mmカメラ換算で300mmくらいの望遠レンズとしっかりした三脚も必要だろう。
カシミール画像は35mmカメラ換算で35mm〜1000mmの場合。
[ 参考 ] ■麓山の緯度経度(世界測地系)は、37°33′46.0199、140°37′26.5165。日山(三角点の場所)は、37°32′33.8985、140°41′03.3469 。
富士山(剣ヶ峯山頂)は、35°21′38.2608、138°43′38.5153。
■富士山〜麓山は297.671kmだが、富士山〜日山は298.996km。日山は富士山の見える山では北側で最も距離が離れている。
麓山(羽山)は富士山の見える「北限」の山であるのに対し、日山は富士山の見える「北遠」の山と言えるだろう。
■麓山より北で可能性が残されているのは、口太山と花塚山。
興味のある方は富士山を遠望できる福島県内の山々もご参考にどうぞ。
[ 追記 2017.1.21 ] 川俣町の菅野さん(58)と斎藤さん(69)、宮城県丸森町の大槻さん(58)のグループが、
花塚山の山頂から富士山の撮影に成功した。
2017年1月16日に日本地図センターが富士山に間違いないことを発表した。
菅野さんが2016年11月26日午前7時ごろに撮影した写真や
過去にグループが撮影した日付の異なる数枚の写真を日本地図センターが地図アプリ「カシミール3D」で確認した。
グループは2010年から撮影に挑戦し、11月26日は菅野さんにとって55回目の挑戦だったという。
(1月17日付の毎日新聞、福島民報、福島民友より)
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「稲荷下」地区が北口登山道の入口となる。ここから山頂までは4Km程。案内板(概念図)が
あるのでそれに従い松比羅神社の所から林道「羽山支線」を登っていく。林道の分岐には案内
標識があるので迷うことはない。途中、21世紀を記念して2001年に400本の桜を植樹
した箇所を通る。路面状況が良い時には乗用車でも山頂まで行くことが可能だが、出来れば途
中の駐車場または駐車スペースに車を置いて歩きたい。
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さらに登っていくと羽山参道の分岐がある。近くには駐車スペースもあるのでここまで車で来て
ここから山頂まで歩くことも可能。さらに羽山支線を登っていくと左手に鏡池があり、山頂まで
1.6Kmと書かれた標識がある。山頂が近くなってきた頃にまた分岐がある。ここでは左へ進むが、
右へ行くと南口に通じている。直ぐに神明水という水場があり喉を潤せるが、水量はあまり豊富ではない。
水場から少し行くと鳥居と大きな駐車場がある北口へ到着する。ここから山頂までは15分程である。
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登山道脇には季節毎に様々な植物が花を咲かせる。
6月中旬、ホタルブクロやドクダミが目立った。他に、アザミやヒヨドリバナ等が多い。
ホタルブクロはその昔子供たちが蛍を入れる袋として遊んだことに由来するという。
なんとも風情のある遊びである。そして蛍が珍しくなりつつある現代ではとても贅沢な遊びと言えよう。
儚く光る蛍から、生命や自然への慈しみの心を育てた童子も多かったのではないだろうか。
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