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川入登山口から、先ずは三国岳を目指す。古くから飯豊詣りのコースとなっている歴史ある表参道コース。
一ノ木には飯豊山神社(遥拝所)があるので、登山前に立ち寄って合掌するのもいいだろう。
川入登山口〜三国岳の詳細は、三国岳のページをご覧いただきたい。
川入登山口から入山した場合、日帰りに挑戦する登山者以外は、ここの三国小屋か、切合小屋、本山小屋、御西小屋で一泊するのが普通。
三国岳の北側へ延びる稜線を下り、七森あるいは七森山と呼ばれるアップダウンの続く尾根へ上り返す。登山道沿いにはカタクリとヒメサユリが花を咲かせていた。
春と初夏の花が同時に見られるのも飯豊連峰の雄大なスケールの恩恵だろう。
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種蒔山付近は平坦な歩き易い道に変わる。地元の方々が五穀豊穣を祈った場所である。
巻き道になっており、種蒔山の三角点は縦走路から外れる。
6月下旬、まだ少し残雪が登山道を覆い隠している。駒原残雪と呼ばれる残雪もこの付近だろうか。
この辺からは、大日岳、草履塚、地蔵岳の眺めがいい。ゼブラ模様の残雪がなんとも美しい。
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地蔵岳への道を右に見送り直進する。夏場であれば地蔵岳方面へ少し進んだ所に水場があるようだ。
6月下旬、水場が使えるかどうかは御沢の残雪次第だろう。ガレ場を少し上って下れば、切合避難小屋(切合小屋)。
山形県側からの参道と福島県側の参道が切り合う刀のようにここで出合うことから付いた名前だという。
定員80名前後で飯豊連峰の山中の山小屋としては一番大きく、飯豊参りの参拝者のお助け小屋としての歴史もある。
管理人がいる時期は食事も提供してくれる。トイレは2006年に新築されたようで快適。
小屋の裏側にはテン場があり、テン場から40mほど下りた所には水場もある。
6月下旬、水場の様子を見たところ濾過と煮沸した方が無難だろうと思った。
管理人がいる時期は小屋まで引水しているので使うことも少ないだろう。
[ 参考 ] 切合小屋は夏山シーズン(7/1〜10/1)中、管理人が常駐しており、食事も提供している。
素泊まり一人3000円、夕朝二食8000円(米三合持参7000円)、テント1000円、トイレ100円の各協力金が必要。
(最新情報については要確認)
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切合小屋を後にし、草履塚を目指す。
6月下旬、ミヤマハンショウヅルやヨツバシオガマが目立つ。
ツマトリソウとハクサンチドリ、オノエランの花も散見する。
時期を変えて登れば、その都度異なった花々を楽しめるだろう。
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6月下旬、草履塚への登りはまだ残雪にかなり覆われている。
必須とは言わないが、アイゼンとストックがあった方が安全でなおかつ楽だろう。
アイゼンがないと、キックステップに少々エネルギーを消費してしまう。
300mほど残雪の上を歩く必要があったが、これはこれで楽しい。
残雪を登りきると草履塚。ここから先は神様の領域。昔はここで新しい草履に履き替えたという。
草履塚付近ではオオバキスミレ、ヒナウスユキソウが多く見られる。
大日岳や御西岳、飯豊山の眺めがいい。御前坂のガレ場もよく見える。
飯豊連峰は200種類以上といわれる多くの植物に恵まれており登山の楽しみの一つ。
草履塚付近は7月から8月にかけて多くの高山植物が花を咲かせ見事だろう。
[ 参考 ] トレッキング用のストック(ポール)を使用している登山者が随分みられた。
ストックの跡が痛々しい箇所も見受けられる。脚や膝への負担軽減、転倒防止などストックの有用性は高いが、
極力控えるようにして登山道へのローインパクトな登山をこころがけたい。
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草履塚の先の小ピーク(老山)から下った鞍部には姥権現(オンバ様、姥ノ前、姥石)。
女人禁制の決まりを守らないで飯豊山に登った女性が石になったという伝説が残る。
スミレかと思って見たら、ムシトリスミレ。その名前の通り、食虫植物。スミレだと思って近づいた虫が餌食になるのだろうか。
6月下旬、オヤマノエンドウの青い清楚で可憐な花が目立つ。ここから御秘所と呼ばれる鎖のある険峻な岩尾根を慎重に登ってゆく。
[ 参考 ] 飯豊山は明治時代までは女人禁制の山だった。
かつては地元の男子の成人儀礼として15歳までに飯豊山の山頂に登る「御山掛け」が盛んに行われていたという。
女性が登ることを許されるようになったのは、
大正デモクラシー運動により女性の地位が向上した大正時代からのようだ。
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御秘所を登り切ると、最後の難関である御前坂の長いガレ場が待っている。
川入登山口からの長丁場で疲れている足腰には少々つらいが、
振り返ると飯森山や草履塚、鏡山、高陽山などの眺望が見事で疲れも忘れる。
途中、岩でできたテーブルとイスがあった。
誰かが造作したものか自然にできたものは不明だが、なかなか展望もいいので小休止。
登りきれば、一ノ王子。石が石垣のように高く積まれている。
水場への指道標があったので行ってみたが、6月下旬残雪に覆われていた。
このような時に山頂で水を確保するには雪を溶かすしかない。
一ノ王子にはテン場もみられる。夏場は水場も近いのでいいかもしれない。
[ 参考 ] 一ノ王子があればその続きもあるだろうと思って、地元の方に伺ったら五ノ王子(五注連王子)まであるようだ。
王子というのは神様を祀る場所のことで、飯豊山山頂あるいは飯豊山神社のある所が五ノ王子(五注連王子)だろうとのこと。
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一ノ王子からガレ場を登ると、1999年に新築された本山小屋。トイレも2004年に新築されて快適。
トイレ脇では風力発電の風車が回っている。その奥には飯豊山神社と本山の鐘。
翌朝の御来光や朝焼け(モルゲンロート)を楽しみに本山小屋に一泊する人も多いのではないだろうか。
本山小屋から西へ延びる平坦な登山道を10分ほど歩くと飯豊山山頂。
6月下旬、チングルマやミネズオウが見頃だがシャクナゲはまだ蕾。
祠が祭られており、標柱と一等三角点の標石もある。
[ 参考 ] ■本山小屋は一人一泊2500円の協力金が必要。
管理人が常駐する時期には水洗トイレが使える。
利用時に水500mlをタンクに入れる。水がない人は100円を協力金として料金入れに入れる。
(最新情報については要確認)
■江戸時代の頃だろうか、飯豊山神社が建っている場所には蔵王権現が祀られ経堂や護摩所があり、
本山小屋付近の場所は四王子と呼ばれ、籠所(宿泊・休憩所)もあったという。信仰登山で賑わいを見せた往昔が偲ばれる。
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山頂からは眺望を存分に楽しめる。
なだらかで広い尾根の先にはお花畑を抱える御西岳。その奥に最高峰の大日岳。悠然と屹立する烏帽子岳と北股岳。
鋭角な三角形の宝珠山とその先を北へ延びるダイグラ尾根。
少し前に通過した本山小屋からここ(山頂)までの平坦な尾根とその南斜面に広がるお花畑。飯豊山導者絵図に出てくる牛形残雪の場所はこの辺だろうか。
期待に違わない雄大な山並みで、条件がよければ、日本海、朝日連峰、蔵王連峰、安達太良連峰、磐梯山、猪苗代湖、那須連峰、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳なども遠望できるだろう。
[ 参考 ] ■三国岳が福島・山形・新潟の県境に位置することでついた名前だが、
現在の福島県の県境は、三国岳から尾根上を北へしっぽのように細長く延び、種蒔山と飯豊山を経て御西岳まで至っている。
明治時代に飯豊連峰を含む福島県の一部が新潟県に編入された際、地元一ノ木の方々が飯豊山(本山)山頂と山頂への参道は福島県に残すように働きかけたという。
現在、飯豊連峰の大部分を山形県と新潟県が占めるが、その飯豊連峰の盟主である飯豊山が福島県に属するのは、
それだけ飯豊山が会津の人々にとって幾世代にも渡り信仰と畏敬の山として大切な存在である証だ。
■明治維新からまだ間もない1878年(明治11年)6月26日〜7月1日まで、
英国の女性旅行家イザベラ・バードが会津地方を訪れている。
6月から9月までの3ヶ月をかけて 日光から会津を通り新潟に抜け山形・秋田・青森・北海道を旅し、紀行文『 Unbeaten Tracks in Japan 』(1885年)と題して出版した。
その紀行文では会津地方から見た美しい飯豊連峰についても記載されている。
ご興味のある方は、「イザベラ・バード 『日本奥地紀行』 福島県会津地方での行程」をご覧願いたい。
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